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[コメント] 東京暮色(1957/日)

最後の黒。小津的構成美と、黒の作劇術。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







小津映画を久しぶりに観た。室内の場面では特に、障子の格子や襖、箪笥、扉などの直線直角を、絶妙な角度から撮る事で、モンドリアン的、とつい言いたくなるほどの完璧な画面構成が為されている。障子の窓から人物が顔を覗かせるだけでも、絵として面白い。パチンコ屋の場面では、人物を横から撮る事で、パチンコ台の派手な見た目は画面から取り払われ、杉山(笠智衆)の姿は、遊んでいるというよりは駅で切符でも買っているかのような大人しい印象を与える。パチンコですら様式美を感じさせる、不思議な小津世界。

こうした、全てを品よく整理する美意識が、この作品のようにハードな脚本の場合、やや不利に働く事を小津自ら意識したのか、画面は、何か強迫観念的なほどに黒く沈んでいる。黒の密度、重さ、吸引力に劇的効果を賭ける小津の意志を感じた。これは、物語の雰囲気が先に立った結果なのか、逆に、黒を思う存分使ってやろう、という野心ありきの事であったのか。人物の衣装も、白と黒の映える物が選択されている。割烹着やセーター、マスクの白さ、スーツや革ジャン、喪服の黒さ。

明子が恋人と防波堤の上に座り、腹の子について話す場面は、あまりに画面が黒く、二人の表情すら、黒の微かな濃淡によって辛うじて読み取れるほど。だが、この黒さの無い小津演出であれば、底の見えない心情の暗がりというものが、これほどに醸し出される事はなかったのではないか。ほとんど画面を黒く潰しかけるほどの黒さあってこその、この場面なのだ。

厳密に、厳格に、完璧に整えられた小津の画面。僕がハッとさせられるのは、部屋や廊下から一瞬、人がいなくなるその秒数の呼吸だ。誰も映っていない場面は、人の気配が消えかかる直前に切られて次のショットに移る。これが、明子の踏み切り事故の後、ほんの僅かな加減なのだが、人の気配をより消しにかかっていたように感じた。

小津は、人物がティーカップをかき回す回数にさえ拘る演出家で、或る女優がそれを一晩中やらされ、「どうして三回半でなければならないんですか?!」と訊いたところ、「それが僕のリズムだから」と答えたという。作劇上はナンセンスとも思えるような、ミリ単位の美学だが、その時間的、空間的管理の徹底は、確実に劇的効果をあげている。本作を観ても、ヌイグルミの置かれた位置や角度さえ、全て小津の計算に違いないと思わされる。冒頭の辺りで、孝子(原節子)と話す笠智衆の方を、机に置かれたヌイグルミがジッと見つめているのが妙に可笑しくて仕方なかった。子供を一人で密かに堕ろしてきた明子が帰ったのを迎えようとして、孝子が立った時、孝子の子のガラガラが転がって鳴る所など、絶妙すぎて何か冷徹な悪意すら感じさせられかける。

産婦人科医の歯の不気味な輝き。明子の事故の後の病院の場面で、水滴が落ちる音のリズム。明子の死を孝子が実母に告げに行く場面での、画面の白さと喪服の黒さ。孝子が父に、夫の許へ帰ると告げると、父は、そうか、と言って別室に移り、死んだ娘の遺影に向き合って読経をする。その声が聞こえる中、一人うな垂れる孝子。妻には去られ、残った孝子にも去られ、父の許に残ったのは、死んだ娘だけだというこの結末。まるで明子の孤独が父に転移したかのよう。映画の最後では、家政婦に用事を告げた後、出勤しようとする彼は、孝子が残したガラガラを見つける。妻が出て行ったのも、明子がヨチヨチ歩きの頃だった。疲れて眠った娘を負ぶって帰って来ると、家の入り口は閉められていた――。坂道の向こうへ姿を消していく父と、それを更に黒く消し去る画面。黒い画面に白抜きで「終」の文字。

杉村春子の明るさ、能天気で忙しない様子、彼女の現れる場面での画面の白さは、話の暗さ、黒さとのクッキリとしたコントラストを成している。彼女に限らずこの映画では、明るさ、軽口、軽妙さ、洒脱さが、明子の孤独に収斂する黒に対する残酷さ、酷薄さとして表れる。単に黒に全面的に依存した演出ではない。白さにすら冷酷さ、死が漂う。

このように、最大限の努力は感じさせられたものの、やはり題材の深刻さに対して、小津の軽妙さが足枷になっている嫌いはある。特にラーメン屋の場面での、明子の恋人の妙に戯画化されたキャラなどは、小津の照れ隠しが却って鬱陶しく感じられ、自意識に自縄自縛気味なように思えた。軽快な音楽と深刻な場面のミスマッチは、狙って行なった事ではあるのだろうが、本当に単なるミスマッチに傾いてしまうバランス感覚の悪さ。笠智衆の飄々とした存在感すら、時に邪魔にさえ感じられ、ここら辺がまだ小津の限界であったのかと溜め息が出る。だが、裏を返せば、それだけ小津にとってもチャレンジングな作品であったという事であり、その勇敢さにはやはり敬服させられもする。

(評価:★4)

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