[コメント] 雷撃隊出動(1944/日)
また、主人公は3人いると云ってよく、藤田進と河野秋武が雷撃隊の隊長で、森雅之は航空参謀。この3人は同期という設定で仲がいい。彼らに加え、基地司令官の大河内傳次郎、主計長−三島雅夫、雷撃隊の分隊長クラスに灰田勝彦と月田一郎、及び基地近くで食堂「やまと軒」をやっているオバサン−東山千栄子、このあたりが主要キャストだ。ということで、かなりの群像劇だった前2作と比べると、人物設定もシンプルな構成だ。
シンプルがゆえの力強さもある。例えば、隊長クラスの人物の対比として、藤田は暢気(肝が据わっているというか)、河野は神経質(ネガディブかつ怒りっぽい面もある)、森は快活(だが、先を見通している)。また、その下の階層も、月田に比べて灰田は軍人としてブレない一貫性がある。こういう役割分担は図式的とも思うが、適所に上手く配置することで、云えたいことを明確に伝えているだろう。あるいは、敵の空襲を受け、皆が防空壕に退避した場面で、主計長の三島が日本人の優秀性を説きはじめる部分なども今見ると誘導的(思想統制的)なモノを感じてしまうが、当時の観客には一定の効果があったのだと思われる。一億全部、雷撃。雷撃精神とは体当たり、死ぬことだ、と灰田が云う。これが、食堂のオバサン−東山の科白、「アメリカのちきしょう!」とか「わしに殺させておくれませ」(米兵の捕虜のこと)なんかは、直截的過ぎる感情の爆発だと思ってしまったけれど、いや、こちらの方に自分を重ねた観客も多かったのでしょうね。
また、序盤から飛行機が足りない、基地に回ってこない、飛行機さえあれば、といった物資不足の状況が描かれており、上にも記した特攻精神への示唆や、終盤の自爆前提の戦い方、それを疑いなく美しいものと肯定する描き方には、敗戦濃厚ムードが横溢していると私には感じられるのだが、これも当時の人たちは、逆に勇気づけられていたのだろうか。同年の前作『加藤隼戦闘隊』のラストでは「前線は待つ 鐵を飛行機を」という字幕が出たが、本作は、基地司令部のメンバーが、内地の人たちに礼をするショットで終わる。
さて、本作も戦闘場面の画面造型は良く出来ている。母艦から発艦する雷撃機の後部ボディ側から撮ったショット(艦から遠ざかっていくことを映すショット)がカッコいいし、敵の高射砲や艦上からの対空砲火(高角砲、高角機銃)の描写も、とても迫力がある。敵艦はほゞ模型を使った特技だが、爆発轟沈する演出も悪くない。ただし、『ハワイ・マレー沖海戦』に比べると、円谷特技部が使える製作費も少なくなっていたようには感じられるスケールとも思う。尚、本作でもズームインが使われるが、その数は少ない。
#備忘でその他の配役等を記述。
・冒頭の母艦の場面で、河野が基地へ出発すると伝える相手は清川荘司だと思う。
・基地の空襲が始まった際、踊りながら戦闘機に乗りに行く兵士は田中春男だ。
・兵士たちが野球をするシーンで「ストライク」「アウト」という科白有り。
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